蝦仔の記録(親バカ妊娠ダイアリー) 200707
オーストラリアで1年の不妊治療の結果、待望の第一子を妊娠。すべてが初めての妊娠記録。Lilypie Expecting a baby Ticker

2007年7月を振り返って
妊娠6ヶ月の今、こうやって今年の7月を振り返ってみると、つくづく治療に明け暮れていた毎日だったなあと思う。6月中旬に日本へ帰国。日本で、一日朝晩二回のSynarel(排卵抑制鼻スプレー)を始め、7月頭に日本から帰国して、Puregon(自己注射)を開始。そして東洋医学の鍼治療との同時進行。今回もたぶん失敗に終わるんだろうなあという半分あきらめ状態で。あまり期待すると失敗したときのショックが激しいのでそう思うようにしていた。

今回は前回より注射の量が少なかったので、HCGの別の注射も追加された。ペン注射だけでも十分なのに、今度は普通の注射針。思ったよりこわくなかったけど・・・。病院まで車で50分はかかるのに、今回は薬のピックアップに行ったりして、毎日のように通っている。しかも鼻スプレーの最終日、「これで最後だ」と思ったせいか、すっかり噴射を忘れてしまった。思い出したのは数時間後。このスプレーは少しでも遅れると排卵が来てしまう可能性があるので、その日の排卵誘発剤の注射の30分前、つまり夜の11時45分きっかりに、救急病棟に行って血液検査をするように言われる。しかも同じ病院だっていうのに、そこの病棟からIVFの病棟に血液を送ってくれないらしく、一度血液サンプルを家に持って帰り、次の日の朝、また病院へデリバリー。一晩病院の近くに寝泊まりした方がよかったかも。排卵誘発剤の日はこんな調子だったので、車の中で排卵誘発剤を打つ。通りがかりの人がいなくてよかった。

こんなハプニングがありながらも、7月19日、無事採卵にたどりつくことができた。13個中、9個の卵が受精。今回は5日間受精させて胚盤胞まで持って行く。ここまで受精胚が生き残れるのはある意味賭けだった。前回は凍結できた受精胚が一個もなかったので不安だったが、やるしかなかった。その後、病院から連絡がなかったので心配だったが、連絡がないということは受精がうまくいっているということなので、移植日を待った。

7月24日。待望の移植日。いったい何個胚盤胞になったのだろう。夫と手術用の服を上から来て、移植室へ。そこで2個だけが胚盤胞になったと言われる。2個移植してしまったら、今後凍結保存できる受精胚はひとつも残らない。夫に「ひとつだけ戻そうか」というと、「いや、二つ戻そう」と言われたので、二つ戻した。モニターに映し出された二つの受精胚を夫と眺めた。

前回もそうだったけど、移植後はものすごい食欲が出てくる。しかもジャンクフードが食べたくなる。

前回は安静にしてたけど、それでも失敗したので、今回は移植日の翌日から出勤。もうこの会社もあと3日だけだったし、最後の残務処理ってことで。本当にいろいろあった月だった。

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